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大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)2474号 判決 1969年9月05日

原告

坂本悦子

被告

樫原春次

主文

一、被告は、原告に対し金一、一九三、七〇〇円およびこれに対する昭和四三年五月一七日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを四分しその三を原告の負担とし、その一を被告の負担とする。

四、この判決は一項にかぎり仮に執行することができる。

五、ただし、被告が金一〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一、当事者の申立

一、原告

被告は、原告に対し金五三六万円およびこれに対する訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行を求めた。

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求めた。

第二、当事者の主張

一、原告、請求原因

(一)  本件事故

発生時 昭和四二年八月八日午前一一時ごろ

発生地 大阪市東住吉区平野西脇町七七三番地先路上

事故車 軽四輪自動車(六大ち六二六九号)

運転者 訴外樫原繁一

事故の態様 訴外繁一は、事故車を運転して南から北に向け進行中、東から西へ横断歩行していた原告と衝突し、原告をはねとばした。

受傷 原告は、(1)右側頭部、右耳翼部挫創および右顔面打撲擦過傷(2)左下腿挫創および左脛骨上端部、左腓骨骨体部の各骨折(3)左足背打撲擦過傷(4)右下腿、足背打撲擦過傷(5)右肩部、左右の前膊および手背の各擦過傷(6)左手豆骨骨折の傷害をうけた。

(二)  帰責事由

1 被告は、ダンボールの製造販売業を営む者で、事故車を保有し、本件事故当時これを自己の営業のため運行の用に供していた。

2 従つて被告は自賠法三条により本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。

(三)  損害

1 逸失利益 金五六万円

原告は、キヤバレーのホステスとして働いていたので、月少くとも金一二万円の収入を得ていた。その内衣料費、化粧品等(必要経費)として毎月金五万円を必要とするので、これを差引いた金七万円が一カ月の実収入である。そして事故発生日の昭和四二年八月八日から翌四三年四月七日までの八カ月間の逸失利益は、金五六万円である。

2 慰謝料 金四七〇万円

原告は、事故後アエバ外科病院に入院し、昭和四二年八月一二日までは意識が正常でなく、精神異常ないしは興奮状態で異語を発する程であつたが、同年一二月二六日に同病院を退院した。昭和四三年一月二五日以降昭和四四年三月初旬まで警察病院精神科にて通院して治療をうけ、かつ有馬外科にも通院していた。その後同年三月四日から現在まで大阪赤十字病院へ通院中で現在に至るも頭痛、目まい、耳鳴り、肩こりを訴え、視力、聴力の減退があり、天候の悪い時は悪感のため就床や左足を曲げることができない。また右顔面にあざが生じ左の手甲が衰弱してくる。右症状のため就労することは不能であり、経済的にも困窮し、生活保護(生活住宅、医療扶助)をうけて最低生活に甘じている。そこで前記逸失利益として請求していない昭和四三年四月七日以降のうべかりし利益も含めて慰謝料として金五〇〇万円が相当である。なお原告は、訴外繁一から三〇万円の支払をうけたので、これを右慰謝料から控除した金四七〇万円を請求する。

3 弁護士費用 金一〇万円(着手金)

(四)  よつて、原告は被告に対し、金五三六万円とこれに対する訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告の主張

(一)  請求原因に対する答弁

(1) 本件事故のうち事故の態様を争うが、その余はすべて認める。

(2) 帰責事由1は認める。

(3) 損害については、すべて争う。

ことに原告が、現在なお内臓疾患があるとすれば、本件事故前に腸捻転症で療養していたもので、事故と因果関係がない。

(二)  示談の成立

昭和四二年八月二五日原告と被告の妻みよ子との間において原告の親戚と称する訴外楓井登の立会のもとに本件事故に関して次のとおり示談が成立した。すなわち治療費全額は被告が負担し、別に休業補償、慰謝料(後遺症その他一切を含むもの)として金三〇万円を被告が原告に支払う趣旨であつた。そこで被告は右三〇万円を支払済であるから、治療費の請求ならば格別本件請求は失当である。

(三)  過失相殺

かりに右(二)の主張が認められないとしても、本件事故に関し原告にも過失がある。すなわち原告は、本件事故現場で停車中の車両の間をぬけて東から西へ横断しようとし、その際何ら通行車両に注意することなく飛び出したため、本件事故に遭遇した。

これは、交通量の多い道路を横断するについて、原告が通常人の注意義務を怠つたためである。そこで被告は、原告に対して本件事故による治療費、付添料として金七〇万円を支払ずみであるので、これを含めて過失相殺につき斟酌すべきである。

(四)  損益相殺等

原告は、昭和四三年三月から翌四四年二月まで生活、住宅扶助の生活保護をうけ、その金額一八〇、八七三円を受領しているので本件損害額から控除すべきである。また被告が、原告に支払つた右(二)の金三〇万円についても同様控除すべきである。

三、被告の抗弁に対する原告の主張

(一)  示談の成立を否認する。

もつとも、被告主張の日時に示談書が作成されたが、それは原告と訴外樫原繁一との間に作成されたもので、被告との間のものでない。示談書には、樫原繁一の親権者母樫原ふみ子が署名捺印していることや、同書が作成された経緯が、繁一の刑事事件に対する関係のためであつたことからも明らかである。

(二)  過失相殺について争う。

本件事故現場近くの湯里方面には、南海電鉄平野線の踏切があり遮断機が設置されている。事故発生当時右遮断機が降りていたので、踏切手前から事故現場の交差点北方にかけて南行する自動車が停滞していた。交差点付近一帯は横断歩行することが自由であつたから原告は、交差点東南から西に向つて前にいた横断歩行者三名にやや遅れて停滞車輛の間を通りセンターライン付近まで進み、そこで北行する自動車の安全を確認して歩行を続けようとして自己の左側をみた瞬間、事故車に衝突されて、はねとばされ引きずられたもので、原告には過失がない。

(三)  損益相殺等について争う。

第三、証拠〔略〕

理由

一、本件事故

本件事故の発生は、その態様を除いて当事者間に争いがない。本件事故の態様は、〔証拠略〕によると、訴外繁一運転の事故車が、事故現場を南から北に進行中、東から南へ横断歩行の原告が東側の停滞していた自動車の間から出てセンターラインを越えたところへ、事故車と衝突しはねとばされたことが認められる。

二、被告の責任

被告は、事故車を所有し、本件事故当時これを自己のダンボール製造販売業のため、運行の用に供していたことは当事者間に争いがないから、被告が自賠法三条により原告の被つた損害を賠償する義務があるものといわねばならない。

三、示談の成否

ところで、被告は、原告との間になした示談契約により、原告の損害賠償として、治療費ならば格別その余の項目について請求権がない旨主張し、原告は、示談がなされたのは、原告と訴外繁一との間であり、被告とではないと主張する。そこで、〔証拠略〕によると、次の事実が認められる。原告は、本件事故による傷害のため、大阪市生野区猪飼野中八の九アエバ外科病院に事故後直ちに入院したが、入院当初は意識不明瞭で異語を発するような状態であつた。しかし、事故後六日経過した昭和四二年八月一四日には、意識はほゞ正常になり、じ後次第に普通の精神状態に戻つてきていた。そこで、同月一八日同病院の原告の病室において、原告と訴外繁一の母で被告の妻である樫原みよ子とが、本件事故による損害賠償について示談の交渉をなし、その際立会人として原告側からその親戚の楓井登、被告側から知合の吉田、吉崎が関与した。樫原みよ子は、示談するについて原告の親またはきようだいと相談するよう原告に求めたが、原告から相談するまでもない旨返答されて、右楓井のみ立会つてもらつた。示談の内容は、原告に対して「治療費全額を負担し、休業補償、慰謝料、後遺症その他一切を含む費用として金三〇万円を同月二五日に持参して支払う」ことであつた。示談書の形式は、当事者として原告と訴外繁一とが表示され、繁一の代理人として親権者母樫原みよ子の署名がされている。これは、当日被告が不在であつたため、樫原みよ子だけで示談をすすめ、繁一の父である被告は関与していないが、同月二六日みよ子が、金三〇万円の支払をなし、原告から貰つた領収書は被告宛になつている。右認定に反する〔証拠略〕は措信できない。

右認定事実によると、示談は原告と訴外繁一との間でなされた形式となつている。しかし、繁一と被告とは親子であり、示談の内容となつている金三〇万円は被告が出したことは明らかで、しかも示談交渉にあたつたのは被告の妻である。右示談交渉の際に、法律上専門的知識を有する者が関与している場合とか、特に運転者にのみ限定する趣旨が表示された場合は格別、右のような事情の下にあつては、運行供用者である被告についても訴外繁一と一体となつて示談したものと解するべきで、それが当事者の意思に合致するところである。従つて、本件の場合示談書に被告の表示のないことをもつて、被告との示談でなく、訴外繁一との示談契約であるというのは言いがかりにすぎない。

ところで、右示談をした時期は、事故後まもない時期であり、原告においても、自己の全損害を正確に把握できる状況でなく、従つて、示談の内容は当時予測しうる損害についてのみ拘束力があるだけで、その後に発生した後遺症についての損害を含める趣旨と解されない。(最判昭和四三年三月一五日集二二、三、五八七参照)そうして〔証拠略〕によると。示談当時原告は約二カ月入院加療を要すると診断されていたこと、被告側は、原告の傷害について医師等から聞き、相当重傷であることを知つていたことから、少くとも治療に少くとも数カ月を要することは予測しえたと考えられる。従つて、被告は原告が、少くとも昭和四二年末ごろまで治療を要するものと予測しえたから、原告に生じた損害のうちそれまでの分は示談解決されたものと認め、示談の拘束力のないその後の原告の損害について以下判断することとする。

四、損害

〔証拠略〕によると、次の事実が認められる。

原告は、アエバ病院を昭和四二年一二月二六日退院して後、通院していたが、翌四三年一月一九日頭痛、目まい、耳鳴りなどを訴え、大阪警察病院神経科へ移るよう指示され、同月二四日から同年四月八日まで同病院に通院(治療実日数一一日)した。同病院の診断結果は頭部外傷後遺症として頭重目まい等の訴えがあるが、左内耳性難聴以外に他覚的症状はなく脳波もほゞ正常とされている。ついで大阪市東住吉区平野西脇町のヒグチ外科へ同年七月三日から九日まで治療をうけ、さらに同区杭全町の有馬外科ヘ同月一〇日から昭和四四年二月末ごろまで通院(治療実日数三五日)し、左膝左足の関節症、膀胱炎、腰痛症の診断がなされている。同年三月四日から現在まで大阪赤十字病院へ週一回通院し、外傷性頸部症候群として、頭重感の訴えがあり、左胸鎖乳突筋の圧痛は他覚的に認められるが、脳波等諸検査の異常は認められないと診断された。

原告は、本件事故当時三二才で大阪市南区のバーパスカルのホステスとして働き月収七万円程度を得ていた。ホステスになる以前は事務員をしていたこともあつた。同居家族はなく、一人暮しで、事故後右症状により働いておらず、収入もないため生活保護をうけて生活している。右認定に反する証拠はない。

そうすると、右認定のとおり、原告の月収は金七万円であるから、昭和四三年一月から同年四月七日までの逸失利益は、金二二六、三三三円である。

1  逸失利益 金二二六、三三三円

前記認定した治療経過によると、原告は膀胱炎などの内臓疾患を併発しているが、これは本件事故と因果関係があるとの立証はないので関係がないものと推認する。(なお原告本人尋問によると、原告は事故の四カ月前、腸捻転で手術をうけたことがあるが、事故時には完治していたことが認められ、これに関連した症状が事故後に出たものと認められる証拠はない。)

従つて内臓疾患は別として原告の症状、後遺症のほか、稼働しておらず生活保護に依存している事情、さらに〔証拠略〕によると、原告の右頬部、左手、左足にそれぞれ傷痕が残り、ことに右頬の部分はかなり目立つ醜状であることが認められ、これら諸事情を斟酌して、原告の長期にわたる精神的苦痛を金銭に見積ると金一〇〇万円をもつて相当とする。

2  慰謝料 金一〇〇万円

3  弁護士費用 金一〇万円

弁論の全趣旨から原告が、本件訴訟代理人に着手金、報酬等の支払義務を負つていることは明らかであり、事案の難易、損害認容額等からみて、原告請求の金一〇万円は本件事故と相当因果関係のある原告の損害として十分認めることができる。

五、過失相殺

〔証拠略〕によると次の事実が認められる。

(1)  本件事故現場は、歩車道の区別があり、車道の巾員一六・五メートルのアスフアルト舗装された道路上で、見通しはよいが、交通量の相当多い所である。近くに東今川バス停留所があり、現場の南側約二〇メートルの所は交差点になつている。付近に横断歩道はない。事故当時、北から南に向う車輛はかなり停滞していたが、反対方向に向う車線側には停滞はなかつた。

(2)  訴外繁一は、事故車を運転して制限速度(五〇キロメートル)内の四〇キロメートルで北進し、交差点手前にさしかかつた時、前方の自己の進行する車線上に普通貨物自動車が停車しているのを発見し、ハンドルを右に切つてセンターラインよりにそのままの速度で進行した。その時原告は、現場の東側のレストラン今川に立寄つた後、東から西(道路を横断しようとして、右停滞車輛の間を通りぬけ、センターライン付近まで行き南側に注意をはらわずそこから小走りで横断しようとして出たところ事故車と衝突しはねとばされ、事故車の前のウインドガラスにあたり、衝突地点から約二八メートル余り先の地点に倒れた。

右認定に反する〔証拠略〕はにわかに措信できない。他に右認定を左右しうる証拠はない。右認定事実によると、本件事故は、訴外繁一の速度の出しすぎ、前方不注視の過失等により惹起されたものであるが、原告にも停滞車輛の間から反対車線に出る時右側を注視して車輛の通行を確かめるべきであるのに、これをおろそかにした過失がある。従つて、右諸事情を考慮して訴外繁一の過失と対比してみて、原告の過失を一〇パーセントと認める。

そこで、前記四の原告の損害額につき、右過失を斟酌すると、原告の損害額は金一、一九三、七〇〇円となる。なお被告は、すでに支払つた治療費に対しても、これを加算して過失相殺すべきであると主張するが、前に認定したとおり、示談契約がなされ、その際、過失相殺すべき事情を考慮してなされたものと推測され、また本件認容の損害額は示談契約の効力の及ばないその後の損害であるから、右治療費を過失相殺に斟酌すべきいわれはない。

六、損益相殺等

原告が生活保護法により生活、住宅、医療扶助料をうけていることは〔証拠略〕により明らかであるが、これら扶助料は、交通事故に対する損害の顛補でないから、前記損害額から控除すべきものではなく、この点について被告主張を採ることはできない。また、示談契約にもとづき被告が原告に支払つた金三〇万円は、本件認容の損害額とは、別個となり控除すべきでないこと前記三で説述したことからも明らかである。

七、結論

よつて、被告は原告に対し金一、一九三、七〇〇円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四三年五月一七日(記録上明白)から右完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるも、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法八九条、九二条、仮執行および同免脱の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤本清)

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